ダニエル&ハンナ・グリーンバーグ氏 講演会 in姫路 1999年

ハンナ・グリーンバーグさんのお話

こんにちは。
まずここにこうやって来られて、本当にワクワクしています。日本は私にとっては・・・・・・、日本のアートをとても愛していますし、こうやってここにいること自体がまるで夢のようです。GHBセンターの児島さんどうもありがとうございます。

ダニーがサドベリーバレースクールの理論的な部分についてお話ししましたので、今度は私が外から見て、日々の生活がどんなふうかをお話しいたします。理論や考えを持っていることは、とてもすばらしいことですが、それが現実の日々の生活の中で、どう実現されていくのかについて私は少しご説明したいと思います。


親が子どもに望むことは?

まず、そのいろんな日々のことに入っていく前に、全ての子どもの親とは、アメリカ人であろうと、ロシア人であろうと、日本人であろうとみんな子どもに対して同じことを望んでいるのではないでしょうか。それについて少しお話したいです。
私たち親というものは、子どもに対して子どもが本当に幸せであることを望んでいます。そして子どもが自分に自信を持っていること、忍耐力を持っていること、どうやって一つの物事をやり遂げていくかを知っていること、自分の回りで世界がどんな風に動いているかが解ること、読むこと、書くこと、そして自分で稼いでいくこと、そのようなことを望んでいるのだと思います。
私達親は子ども達自身が、自分のことは自分でやっていける力を持ってほしいと望んでいます。その子の身の回りでどんなことが起こっているのかを知っていてほしい、そして、どういうふうに他の人に話しかけるか、どういうふうに一つの物事を他の人に伝えて説明していくか、それから、その子が生まれた文化、アメリカならアメリカの文化、日本なら日本の文化について、身につけて知っていってほしいと願っています。
そのこが倫理的にいい人間になっていくことも望んでいると思います。
この点については、たぶん世界中の親たちが同じように考えて、同じように「そうだ、そうだ」と言うと思います。
それをどう実現していくかのやり方が私達のサドベリーバレースクールでは、とても面白く、変わっていて、新しいです。世界の他の所で行われているやり方とは、全然違います。ですからそのことを皆さんにお話ししたいと思います。


サドベリーバレースクールの日常

私達の学校は始まって31年になります。4才から19才までの子ども達がそこで今までずっと育ってきていて、私達のやり方が本当にうまくいくんだということを彼ら自身のその後の人生において示してきてくれています。
私達のところの生徒達が外に出て行って、他の人々と色々と話してみると、あんまり他の学校とやり方が違うから、とても学校に行っていたとは言えないくらいの生活を送って来たんだということになります。そうであるにもかかえあらず、そんな魔法みたいなことがなぜ起こるのかをお話します。
サドベリーバレースクールに皆さんがおいでになると、まず目にするのは200人の子ども達がもうそこら中好きな所にいて、一日中好きなことをしている姿です。それが毎日毎日、毎年毎年起こっています。
子ども達は朝、学校へやって来て、その日何をするかを決めます。毎日そんなふうに始まるのです。
先生やスタッフ達は、子ども達に「~をしなさい」とは全然言いません。これはちょっと想像するのが難しいかもしれませんが、本当にそうなのです。「あれをしないさい」「これをしなさい」ということは、何も一切言いません。
私達の所には計画というものは何もない、カリキュラムもありません。テストもありません。だれも子ども達に代わって、その子の人生をどうするか、その子の時間をどう使うかを決めたりしないのです。子ども自身が自分が何をするかを決めます。
ですから、子ども達の中には朝やって来てずっと一つのことをやっている子もいます。そして家へ帰って行きます。例えば、バスケットボールだけずっとやっている。写真の暗室にこもって写真のことだけやっている。あるいは、外に出て、スケッチして、ずっとスケッチし続けている。又は友達とずっとしゃべっている。そして、夕方が来て、家へ帰って行く。そんなふうに過ごしている子もいます。
勿論、いろんなことを次から次へとやって行く子もいます。30分一つのことをやったら、今度は20分別のことをやって、それから1時間こういうことをやって、場所も転々と移動して、そういう子もいます。
こういったいろんなやり方というのは、4才の子もそうですし、14才の子もそうですし、卒業前の、もうちょっとで卒業といった子も同じように、好きなように自分の時間を過ごしています。


人生とは自分の時間

健康であることの次に、人間にとって一番大切なことは、自分自身の時間だと思います。
自分の人生というのは自分の時間だと思います。
何か罪を犯した人を罰として刑務所に送り込みます。つまりそれは、その人からその人の時間を奪うということです。例えば、5年間その人の時間を奪ってしまうことは大変大きな罰です。大人達は、だから自分の時間を他の人が取ってしまうことを好みません。とても嫌がります。子ども達もそういうことをされるのは嫌なんです。
子ども達が歩いている姿なんてそんなに見られないんじゃないでしょうか。子ども達っていつも走っていますよね、もうあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ちょこまかちょこまか。それは、自分の時間がとても大事で、とても時間が足りないからなんです。
でも学校といわれている場所が、子ども達にしていることを考えてもらいたいのです。
日本ではどうか知りませんが、多分そうだと思いますが…。少なくともアメリカでは、学校が子どもに対してどういうことをしているかというと、こうです。
子ども達に向かって、「これしなさい」「あれしなさい」というふうに言っています。つまり時間はその子自身の時間ではなくて、先生達の時間なんです。先生達が子ども達の時間を取ってしまって、「さあ、ここに座って、これをするんですよ」「私の言うことをやるんですよ」「あなたはとても小さいし、私は大きいんですからね」とか言うのです。
こういうことが起こっているのは、刑務所と学校だけです。
サドベリーバレースクールでは、こういうことはしません。刑務所じゃないんです。なぜなら、私達は子ども達に、子ども達自身が自分の時間を使うということを学んでいってほしいからです。その子たち自身が考えること、その子たち自身が遊ぶこと、しゃべること、その子たち自身が幸せになっていくということを学んでいってほしいからです。
そうすると、子ども達はほとんど全てのことをよりたくさん学んでいきます。他の普通の学校で、例えば9月~6月にわたって机に座って学んでいくやり方で、一体どんなことが学べるでしょうか。読むこと、書くこと、ちょっとした計算、ちょっとした歴史、他に何が学べるでしょうか。隣にいた人がどんな人なのか、どんな人間なのか、そういうことを学べるでしょうか。
本当に小さなことだけしか学べない。だから、私たちの学校にいる子ども達は、もっとより多く、より広範囲にわたって学んでいます。


サドベリーバレースクールの子ども達

私たちの学校のある場所は、とても寒くて、雪がよく降りますが、小さな子ども達は雪の中を時々裸足で駆けて行ったりすることもあります。そういうのを見ると、「なんてひどい先生だろう。あんな寒い中を裸足で出かけさせたりなんかして」というふうに言われたりします。でも、子どもというのは馬鹿じゃないんです。寒かったら又、家の中に入って来ます。つまり自分が自分のボスで、人に言われなくても自分が寒かったら家に入れるし、いろんなやり方が出来るのです。自分が自分にいろんなことをああしよう、こうしようと言ってやるだけの頭があるということを子ども達は身につけていくのですね。
だから子ども達は、自分の体のことも自分で世話を焼いていくことが出来るし、何を食べるかとか、寒かったらコートを着るとか、自分の気持ちについても自分でケアしていくことが出来ます。自分のニーズ、自分にとって何が必要かを自分でちゃんと把握して、ちゃんとそれに対して対処していくわけです。人が「こうしろ、ああしろ」と言うから、人がこういう目で見るからというのではなく、自分自身の中からの動きでもって、述べたようなことは自分でやっていけるようになります。
そして、コミュニケーションの仕方も学んでいきますし、お互いによい友達でいることも学んでいきます。
もう私の言いたいことは、だいたい言ってしまいました。つまり子ども達が全てのことを学んでいくのは二つのことからです。それは、一日中遊び呆けること。一日中しゃべって、しゃべって、しゃべりまくること。その二つのことから全てを学んでいくのです。


美しい人生

話を終える前に、もう一つつけ加えたいことは、私たちの学校は本当に行儀が良いと言うか、暴力というものがないんです。つまり、誰も他の子を殴ったりしないし、他の子から物を盗ったりしないし、他の子を困らせたりしません。とても行儀がいいです。そして、お互いに思いやりのある生活の仕方をしています。なぜなら、子ども達は怒りを持っていないからです。幸せなんです。だから、この幸せな学校のあり方をずっと続けていきたいと心から願っている。だから、そういうことは絶対しないんです。

私達の学校は民主主義的な学校です。そのことについて申し上げたいことは子ども達はみんな投票権を持っていて、毎年、4才の子から上の子まで、みんな先生に対して投票を行います。だから、私が子ども達に対して親切でなかったり、親しくしていなかったり、良い人間でなかったり、賢くない先生だと思われたら、もう即それで「さよなら」ということになるんです。
本当にたくさんの物はいりません。お金もそんなにいりません。すばらしく美しい家とかそんなものもいらない。ものすごいコンピューターもいらない。本当に人生、自由さえあれば、人生そのものが美しいのです。
アメリカではよく幸せに育った人は、美しくなると言います。美しいとは、つまりすばらしい、良い人であり、とてもおもしろくて、すばらしい人であるという意味です。幸せに育った人は美しい人、すばらしい人になると言います。


大人側の勇気

今、こうやって私たちの学校について、美しい面をばっとみなさんにお話しました。さらにもう一つ付け加えておかなければならないことは、こうした教育をするためには、その子の両親達や、祖父母達は、本当に勇気を持たなければいけないということです。勇気が絶対的に必要なんです。親、祖父母、その人達が、自分自身を教育していく、育てていく勇気が本当に必要です。頭で分かることはたいして難しくはありませんが、心の底から変わっていくというのはかなり大変です。
私自身はいろんな国のいろんな子育てについて勉強して本を読みました。日本のみなさんは、子どもが小さい時には、本当に子どもに対して優しく、大事に大事に育てると聞きました。本当にそうでしょうか?そうであれば、日本の赤ちゃん達は、本当に自分自身の力で話すことを学び、歩いたり、本当に難しいお箸を使うことも自分で学んでいくでしょうし、いろんな生きていく為に必要な力を自分の力でつけていくことが出来るのだと思います。それは、親自身が自分自身の人生を一生懸命に生きていれば、自然に生きていけば、そうなっていくものだと思います。
だから、自分の子どもが何も勉強といえるようなことはしないで、遊んで遊んで遊び倒していて、しゃべって、しゃべって、しゃべり倒している、その姿を見て、神経質になってしまっているようなお父さん達お母さん達には、「でも赤ちゃんだった時のあの子のことを思い出してみて下さい。」と言うんです。「あの子たちは、ちっちゃい赤ちゃんだった頃、自分の力でいろんなことを学んでいったじゃないですか。」と。
ですから、こういうふうに子どもを育てていくことを怖がらないで下さい。確かに難しいです。でも、みなさんに約束できることは、どんな子どもも必ず、自分の力で読むことを学んでいきます。書くことも学んでいきます。どういうふうにお金を使ったらいいかというお金の使い方も学んでいきます。そして、その子自身にとって、本当に必要なことを学んでいきます。ある子どもにとっては絵を描くことでしょうし、数学である子もいるでしょうし、生物学かもしれません。でもその子自身にとって本当に大切なことをその子は学んでいくし、自分で学んだということをずっと覚えていると思います。


どのように大人になっていくか

少し前に、アメリカで有名な90才の経済学者の講演を聞く機会がありました。その人が「私はとてもよい生徒だったけれど、学校で何を学んだかは何一つ覚えていない」と言うのです。「ただ一つ大事だったことは、どうやって学ぶかと言う学び方を学んだことだ」と。学び方を学んだ子どもというのは、必ず働き方も学んでいきますし、どうすれば良い人生が送れるかということも学ぶと思います。どうすれば良いアーティストになっていけるか、どうすれば自分のなりたいものになっていけるかを学ぶ力を必ずそこで身につけていると思います。
「じゃあ子どもが学び方をちゃんと生まれながら身につけて生まれてくるのであれば、どうしてわざわざそれを又外から教えなければならないのか。どうして学校へ行かさなければならないのか。その学校へ行っている期間、子ども達は自分が知っていたはずの学び方を忘れてしまう。そうであれば、学校の方をよそにおいてしまって忘れてしまったらいいじゃないか。」と私達は言います。
その90才の経済学者が言っていたもう一つのことは、「一番よい学び方は、そのことを教えることだ」というものです。教える時に人はそのことについて一番よく学ぶということです。
ですから自由にいろんな年齢の子が一緒に混ざって生活している学校であれば、子ども達が日によって、その課題によって、ある時は他の子どもに対してそれを教える側の立場であるし、ある時は学んでいく立場であります。それが始終入れ代わってやっているわけです。それが学校というものなんじゃないかと思います。
学校に来たときに「何をしろ、あれをしろ」と外から言われないで自分自身が決めてやっていく。だから子ども達は、よくスタッフの所に来て、「これこれこういうことを教えてよ」と言ってくるんです。私が教える場に遅れたりすると、「ハンナ、遅れたじゃないか!僕に馬鹿になれっていうのか!」というようなことを言います。私が子どもだった頃は、私が学校に遅れて行くと、先生の方が「ハンナ、こんな遅刻ばかりしていると馬鹿になりますよ!」と言ったんです。でも、子どもに向かって「馬鹿者、馬鹿だ!」と言うのは、本当にひどいことだと思います。そういうことを言って、その子は学ぶことや自分に対して自信が持てるでしょうか、幸せになれるでしょうか、言うことをやる気になるでしょうか。
だからといって、子どもにいつもいつも「あなたはいい子だ、いい子だ」「すばらしい、すばらしい」と言っているのではありません。もちろん、正直にならなければいけないと思います。私達は子ども達にこういうことをしてほしいということをはっきり言いますし、どういうふうに自分が感じているかはその子に対して率直に言います。
なぜなら、彼らは私の所に私の意見を聞きに来るからです。だから私がどういうふうに思うかを彼らに伝えます。でも、私の方から子ども達の所に出掛けて行って、私がどう思うかを言うことはないんです。「あんたのこの髪はだめだ」とか「ちゃんとやってないじゃないか!怠けているじゃないか」とか「私の言うことにちゃんと耳を傾けて聞いてないじゃないか」というふうなことをこっちあkら子どもの所へ行って言うことはありません。
ですから、みなさんが学校に来て、見る風景というのは、本当にありとあらゆる年齢の子ども達が走り回って、忙しそうに何かやっている、あるいは見たところ何もやっていないという姿です。でも、それは子ども達が何をやっているかを理解できないからです。彼らがやっていることは、自分自身を学んでいくこと、世界について学んでいくこと、そしてどのように大人になっていくかを学んでいるのです。

どうもありがとうございました。