デモクラティックスクールまっくろくろすけ・2005年当時・メンバー/児島 いのりさん 15歳
学校に来てその日何をするか、自分の時間をどう過ごすか、何時に登校するかも自分で決めてやって来ます。それはどんな感じだろう。自分のしたい事をしたらいい、それはすごく簡単で誰にでも分かりやすい、まっくろくろすけに通う子供達のスクールでの生活は一見遊んでるだけに見える、一見ではなくて本当に遊んでいます。そんな、遊んでいるだけの中に何があるのか、私が体験してきた事、見てきた事を書きたいと思います。
遊び、興味のある事には一生懸命取り組んで、沢山のことを学びます、もの凄く熱中して一日中ひとつの事をしている子もいます。自分で選んでやっている事なので、嫌になれば止めるだけでいいんです、だからこそ本当にしたい事を集中してやれるのです。
朝スクールに来てミィーティングにも出ないで、外に出ると昆虫探しを始めて、虫を捕まえたり、図鑑を片手にどんな虫なのか調べたりしています。横で見ている子には「何が面白いん?」と言った感じでも、その子は黙々と調べては捕まえる、充実した一日になったでしょう。
さっきは「何が面白いん?」と思っていた子は家の中でお店屋さんゴッコを友達としています。あるお店は紙で出来た料理でレストランをしていました。もう一軒ではハサミやセロテープ、道具を持ってきて売っています。レストランに食べにいって出てきた紙のお皿やスプーンを持ち帰って、自分のお店で売っている所まであります。レストランでハサミや色鉛筆が必要になりました、道具部屋を探しても見つからないので結局、お店で買う事になった時「道具を売るんはズルいんちゃう?」と不満を言ったのが始まりで「なんでぇ?早い者勝ちやろ?!」と、問題が発生して、店主達が集まってきました。「道具を売ってたら何も作れへん」「ここで買って作れば?」他にも問題は出てきます「レストランのお皿やスプーンを売るのも止めて!」だんだん話し合いになっていき、「レストランの食器は返すこと」「道具は売ってもいい」自分達のルールが出来ました。またお店を開店させて、一生懸命働くのでした。
昆虫博士の子はまったく話し合いやお店には見向きもせず、自分の研究を重ねています。他には、分厚い漫画を開いて読み始めるとすごいスピードで次へ次へと、読み進めて、その間は話掛けても返事が返ってきません。返事が無いのはすこし困るけど、なんてすごい熱中っぷり。
遊ぶのに夢中なってお昼を食べ忘れて、帰りの車の中で急いでる食べてる子もいました。色んな人が居て、それぞれの価値観、好奇心は当たり前に違って、ひとり一人の内に持っているもの、興味のある方へある方へ好きなだけ伸びていけるんです。
自分の時間はしたいように予定を立てて、やりたいようにやっています。でも、いつでも好きなようにできる訳ではありません。皆で決めたこと、約束や自分に何かの役割がある時は、守って行動しています。
例えば、部屋の修理など担当に分かれてやっている時は、同じ部屋の担当の子と都合を合わせて、修理していきます。遊びたい日が違ったり、出ているクラブや外出する予定も違います、ずるずるとしていなかった修理は、期限を決められて、ギリギリのところで遊ぶの我慢して担当の子達は作業したりもします。他にはスクールの資金にもなる仕事を引き受けた子がいました、その子の他にも手伝うと言った子が何人かいました。
でも長い事ほっておいたので、困る人もでてきました、引き受けた子が卒業することが決り、その残りわずかな時間で仕事をやらなくてはいけなくなりました、「最後はゆっくり過ごしたいので、この係りを辞めたい」とミーティングで話し合うことになりました。それでも決った事は、係りになった子、手伝うと言った子で卒業するまで出来る限りやってみる。でした。
ところが、次の日の朝のミーティングで「やっぱり、したくないけど辞めてもいい?」と、また話し合い、今度は了解されました。皆で決めた事は守り、大変な時は皆に相談して、皆で決めていくのです。
もう一人、見ていて私が勉強になったと思った事があります。やりたい事が一人でやれる事なら勝手に始めて好きなようにすればいい、でも一人では出来ない事だった時は、皆を誘ったり、始める為に纏めていかなくてはダメでした。「サッカーしてくれる人ぉ??!」と元気な声が聞こえてきました、「やってもいいよ」「しないー」と返事が返ってきました、そのままその場に居なかった人にも声を掛けに走って行きました。
少ししてグラウンドに出てみると誰も居ません。他の人に訊きまわってる間に、返事をしてくれた人は、お喋りや新しい遊びを始めていました。それを見つけて、また声を掛けると、皆がやっとグラウンド近くに集まりました。やっとサッカーが始まるのかと思うと、「分かったわかったぁ」など曖昧な返事でなかなか始まる気配がありません。「しよう」「うん?」と、同じ事の繰り返しで、呼びかけている子もどうやって始めればいいのかが分からないようで、始めようとしても、何故かフラフラ?っと家のなかに入って新しい人に呼びかけに行ったり、戻ってきては「やろう?」と言っていますが、集まった子達もそこでお喋りを楽しんだりと、返事はするものの何故か上手くサッカーが始まりません。呼びかけた子は怒ってどこかへ行ってしまいました。集まっている子達はいつもの事なのか、お喋りや遊びを続けています。
その日の終わり、ミーティングの中にある「困った事」のコーナーでも、その子は何も言いませんでした。違う日には、他の子がサッカーをやろうと言っていました、この前の子は喜んでサッカーに参加しています。他の子がどうやって始めていくか、見ているんじゃないでしょうか。そして、きっとこの子より小さい子は、この子を見ていくのでは。気づかないうちに、誰かを見て、誰かは自分を見て、先生は友達や環境、沢山の中で一番の先生は自分自身。