バズ・ハリガン(サドベリーバレー卒業生)論文

May 19,2009

僕は、自分や他の人の人生を検討し、自分が好きなこととそうではないことを見つけること、その両方を自分の世界観に取り入れることで、感銘を与える大人になるための準備をしてきた。このプロセスは多分、生まれたぐらいから始まった。僕の発見は多分、「泣き叫んだらお乳がもらえる」ということから、「泣いているときより笑顔でいるときの方が、両親の機嫌が良い」ということにスムーズに移りかわり、そして歩いたり話したりするための辛抱強い試行錯誤の学びへと移っていった。

自立への初めの一歩は、状況への反応だった。たとえば両親によると、お腹が空いたら棚の中に這って行き、缶を引っぱり出していたという。これは言葉をもつ前の人間にとって、食べ物を得る良い方法だった。

僕は小さいうちから両親が働く必要があり、保育所に預けられた。この経験から少なくとも今日まで、三つの大切なことを学んだ。一つは僕は両親なしで長い時間過ごせるということ、もう一つは、どこにいてもそこのプログラムに参加した方が生活はとても楽だということ、そして、もし自分の周りで起こっていることに退屈したら、大概そういう時は、自分で考えたり夢見ることで楽しめるということだ。

次の七、八年間の間には、いろいろ違った保育所を転々とし、僕はさらに自立していった。そこでは監督されないで放っておかれる時間がもっと長くなった。ついには、自分でにぎやかな通りを渡り、町を歩き回ることを許された。

もっとも重要なことは、家で自分の時間を過ごす間中、自由に座って考えたり夢みたりする時間がたくさんあったということだ。同じころ、保育所は逆の方向へと変わっていくようにみえた。そこは子どもたちの空間から、計画された日を過ごす学校へと変わった。一年生の終わりには、僕の結論はこうだった。彼らは僕らの時間を策略でいっぱいにしようとしている。なぜなら彼らは、僕らの創造力を信頼していないか、完全に恐れているからだと。

創造力は、僕が価値を置く財産の一つだった。創造性に対抗する考えは僕を苦しませた。しかし当時は、このことをうまく言葉で表現できなかった。だから単に、もうそこへは行きたくないと両親に伝えた。そして私たちは、サドベリーバレーともう一つ違う私立学校を見に行った。

僕はその私立学校に転校した。そこには特に目立った違いはなかった。3年後、宿題が学校において以前より重要なものになったこと、親友であり勉強仲間であった子が去ったことの二つで僕は決意した。僕は両親にサドベリーバレーに行かなければならないとだけ言った。11歳になった年、両親はそれを試させてくれた。

初めてサドベリーバレーに来たとき、考えごとをして過ごした。一日中考えたり夢見たりすることができる今や、それがしたい唯一のことではないとわかった。

SVSでの最初のころに、ロールプレイングゲームをしているグループを見つけた。これらのゲームでは、架空のキャラクターを創り、その世界でキャラクターを演じる。ゲームの世界は、起こる出来事を決定する複雑なルールがプレーヤーによって使われ、コントロールされている。

ゲームマスターに話すと、彼は僕にゲームをやらせてくれた。すぐにこのロールプレイングゲームがとても魅力的だとわかった。このゲームについてできるだけたくさんのことを知るために、本を熟読することに長い時間を費やした。

ゲームによって、僕は算数の力をつけた。悪い考えを試す安全な環境や、人と一緒に自分の想像力を使ってみる機会も与えてくれた。しかし、本当に惹きつけられたのは、このゲームが自分の周りにある世界を単純化し、説明するということだった。少なくともこのゲームを発見して一年後、僕はさらに考え、自分はこのゲームが客観的に人々を表現しているということが特に好きなのだとわかった。それは、後に僕を心理学の読書へと導いた。

僕が遊んでいた子どもたちは、自分よりも少し年上だった。彼らはすでに長くこのゲームをしていて、退屈し始めていた。彼らはだんだんゲームをしなくなった。結果として、自分で楽しみを見つけなければならない時間が増えてきた。

僕は、思いきって恐ろしい階下へと行き始めた。年上の子どもたちが話していることが魅力的だと発見した。僕は沢山の新しい考えに出会った。どんな会話にせよ、聞くことで時間を過ごし始めた。めったに口を挟まず、彼らが話していることを理解しようとした。それらがどういう理由でどういうところから起こっているのかを。

その後僕は、「一日中ゲームをするグループ」をつくるのを手伝った。しかし僕はまだ人が話すのを聞いていたいと気づいた。

それからしばらくして、人とさまざまな話を作るのを楽しむようになった。僕たちは沢山のコミックや映画、短編アニメを構想した。計画はどれも終わらなかったし、完成したプロジェクトも傑作からは程遠かった。しかし創造的な過程のある定期的な活動は、ゴールを設定することやコミュニケーションについて、大切なことを教えてくれた。

最初の数年を過ぎて、同じような方法を続けていた。少しシャイじゃなくなり、一緒に過ごしたいと思う人たちを見つけた。彼らのほとんどは僕より年上で、基本的には彼らがしていることをした。続けていくことだけをゴールに。

十四歳になった年、年上の友達のほとんどが卒業した。僕は注目すべき新たな面白い議論はほとんどないとわかった。私が一緒に続けていこうとしていたほとんどの人が去ってしまった。

さらに悪いことに、かつて魅力を感じた会話に出会ったときに、大体はすでに聞いたことがあり、その話題についての自分の意見を持っていることに気づいた。

これは、僕のエンターテイメントの源がなくなった大きな出来事だった。僕にはまだ友達がいたし、さっきから言っていた全てのことをしていた。しかし、自分のほとんどの時間を過ごす新しい方法を見つけることは言うよりも難しかった。

僕は新しい友達をつくり始めた。自分の意見を表すことを学びはじめ、(それは、気づいて直しはじめるまで持っているとは知らなかった問題だ)、退屈したときのための予備として本を持ち、定期的にスクールミーティングに行きはじめた。

僕はどのようにコミュニティが機能しているかに興味を持つようになった。学校運営の多くの局面に惹かれるようになった。いくつかの委員会に参加した。その次には、注目していたJC(司法委員会)に参加した。サスペンションカンファレンス(決定を下す会議)にさえ参加するようになった。

十七歳になった年、スクールミーティングのオフィスに立候補して、100%の支持を得た。初めはうまくできなかったが、真剣に取り組んで最後には理解をした。その過程で忍耐力や公正さ、責任を学んだ。

その夏、発達心理学のフィールドで調査助手としてボランティアをした。それは、とてもためになった。僕は全てのことを学んだ。いかに時間どおりに毎日そこへ行くかということから、多くの学術論文をどのように読み通すか、どのように締め切りに間に合わせるか、論文をどのように書くかまで。そして、当然のごとく、当時勉強していた心理学や宗教についてたくさんのことを学んだ。

友達のザギーとともにJCの委員になるために、その仕事をやめた。この経験から、異なった忍耐力を学んだ。

それが終わる頃には、調査を続ける強い欲求がなくなった。調査には戻らなかった。

調査の環境にいることで、どこか早く進路に進むべきだと確信した。しかし、行きたいところがなかった。だから、大学の出願をやめてサドベリーバレーにもう一年いることにした。

最後の年あたりは、最初のころの生活を思い出すような方法で過ごした。SVSでもっとも波乱万丈な年よりも、もっと内省的で静かだった。僕は、SVSでの時間が終わりに近づいていること、すぐに世界での自分のみちを見つける必要があるという事実に、よく気づいていた。

あいにく、僕は決心して「どのように」を追求する前に、強く「なぜ」ということを求めるタイプだった。

そんな風にして、熱心に新たな情熱を求めることはせず、通常の活動をしてきた。リラックスしている時にもっともしやすい考え事をしたり、理想的にはどのように、そして、なぜ生きるべきかの概念を見つけようとしたりしてきた。

僕は、人生における最高のときは、自分の外の何かとつながっていると感じるときだと分かった。それは人々でも、活動、場所、物、考えやアイディアでも。それに振り返ってみて、よりつながりを感じた時に自分の人生は良かったように思う。

つながりをあまり感じることのできない行動は全部、真実性がなかったか、尊敬がなかったものだった。

真実は僕にとって重要だ。なぜなら、僕が嘘をついて相手がそれを信じると、真実を知る他の人々からだけでなく、おそらく彼らがより良く理解したいという偉大な現実からも、僕はその相手を分け隔てることに気づいたから。反対に、誰かに真実を話して、彼らが僕を信じたときには、僕は彼らの世界とのつながりを強くする。真実を話す、という機会を逃したとき、僕は誰も押しやったりはしないけど、人を真実に近づけるという機会を逃してしまう。

しかし、純粋な真実というのは、完全な道徳的なシステムからはほど遠い。まず第一に、真実は僕と他の人を分け隔てない。(たとえば、殺人を犯すために嘘をつく必要はない。)それと、全ての真実を言わないことが、正しい決断だというときもある。ごく稀には、一番良い方法が嘘をつくことだという場合もある。

ここが、尊敬が入ってくるところだ。僕がやったことで、自分が嫌な思いをし、それが全く嘘ではなかった時、それは全部ある意味尊敬がなかったことだ。

僕は敬意をもって、行動するということをこう定義する。それは、ものごとを扱われるべき価値があるように取り扱うことだ。誰かのことをはっきりどのように価値があるかがわからないとき、そのために、「自分が扱われたいように、人を扱うこと」はしない。人々はそれぞれ違うということを心に留める必要があるということに注意し、何に対しても真実や敬意に反しない限りはそうする。

これら二つの原則があれば、「どういうときに」「どういう理由で」、何かが間違っているということを決定するのに十分だ。完全にではないが、十分にできる。

ここまで僕は、何をすべきでないかという概念を説明してきた。しかし、「つながりを感じるためには、真実と敬意を抱くべきだ」という概念の先に、どのように、どういう理由で行動するかについては、まだ触れていない。

僕がものごとをする動機づけの中で、もっとも重要なことは、希望を持っていることだ。多くの人と希望との関係を見てきて、僕が希望を持つには、二つの基本的な条件が必要だとわかった。僕は、自分の周りの世界は理解することができ、より良い意味のある方法で変えることができると信じられなければならない。もしくは、より個人的にいえば、自分の行動の結果として起こるものをわかることができるか、いつかはそうできると信じている。二つの相反するみちがあるときに、50パーセント以上の成功率をもって、自分の目標により合う方を予測することができるように。

僕を動機付けるもう一つの重要な側面は、何か自分自身の目標や世界へのビジョンを持っていることだ。一度自分自身で計画を達成すれば、全ての行動はより多くのパターンに当てはまり、かつては困難に思った多くの些細なことが、とるにたらないことになる。世界へのビジョンを持っているとき、いかに自分がする全てのことがビジョンへの助けとなり、または妨げとなるかを知ることができる。その両方が信じられないほどのつながりを感じさせてくれる。

そのとき僕は、壮大な計画とはるか先に広がるイデオロギーの間にいる。そして、そこには、それ自身がもつ静かな美しさがある。僕は、聞くことや読むこと、話すこと、考えることをし続ける限り、探求すべき新たな目的や世界観が見つかるのではないかということにほとんど疑いを持たない。

この活動をするのに必要とする最後のものは、行動する意志だ。いったん自分がやり遂げたいことをどういう目的で、どのようにしてするかを決めれば、あとはそれを始め、最後までもち続ける勇気だけだ。勇気をもっと得るための僕が知る唯一の方法は、自分のもっている勇気を試すことだ。それは、自分に勇気があるとわかる前に、その勇気を使わなければならないという面白い状況に導く。

このフェイクの方程式は、そのシステムが僕の頭の中で、どのように見えるかを表している。

A = X+( H+C )+(T+R)

A = Effective Adulthood(感銘を与える大人)

X = The Unknown(未知なるもの)

H = Hope(希望)

C = Courage(勇気)

T = Truth(真実)

R = Respect (敬意)

これらのアイディアは進行中のワークであり、今後の僕の人生においてもそうであろう。いろいろなものが加えられ、取り去られるだろうし、僕が変化し発展するとともに、大抵それらも変化し発展するだろう。

今そうであるように、もし自分自身に対して誠実であり続けるなら、より大きなコミュニティでも感銘を与える大人でいるだろう。僕が説明してきた概念とこれまでに達成してきたことが十分な準備を示している。

僕は、自分の有効性は、自分がすることをどのように、そしてなぜするかの理解が拡がっていくことからくると信じている。それが何であれ。

We are but men,rock!-Tenacious D