ダニエル・グリーンバーグさんのお話
まず、皆さん本当にありがとうございます。日本はずっと来たいと思っていた国なので、このすばらしい国にこうやって来れたこと、こうやってお話しする機会を選べたことを大変感謝しています。
色々とあまり適切でないことを言うかもしれないので、その事に対して最初にごめんなさいと言っておきます。私は、日本のいろんな習慣とか、皆さんの考え方とか、そういったことにあまり親しくないので、これから申し上げる事がお気に触ったりするかもしれません。誰も怒らせたくはないのですが、もし、そのようなことを言った時は、お許し下さい。
今日は、「私達の教育についての考え方」「子どもの発達とは何か」「子育てについて」「21世紀に向けてどういった新しい考え方で臨めばいいか」という事について、私の考えをお話したいと思います。私達のサドベリーバレースクールという所は、子ども達が育って、そして大人になっていくために、本当にユニークな良い環境であると思います。まず、私がこのサドベリーバレースクールのもとになっている基本的な考え方について、大体の所をお話しして、それからハンナが実際にどんな生活を子ども達がしているのかについてお話しいたします。最初にご理解いただきたいことは、この考え方というのは、いわゆる教育改革とか、教育のシステムについての変革とか、そういうふうなことではないのです。教育そのものを根本的に最初から考え直してみようというところが考え方の基本になります。
ハンナと私は、この学校の考え方について、全然違う方向からたどり着いてきました。私自身はとても良い生徒で、いつも成績はAばかりでしたし、本当に極端に良いことをして通してきました。私は大学院を出て、大学で教え始めた後になって、「ああ、自分は自分の子ども時代を全く無駄にしてしまった」と気づいたのです。ハンナは私と正反対に、もっと賢明でした。学校に対して全く注意を払いませんでした。宿題も全くやりませんでしたし、全ての学科について単位を落とし、自分のやりたいことしかやってきませんでした。彼女が生化学の大学院を出た時には、少なくとも彼女の方は、子ども時代を無駄にしたとは考えていなかったと思います。でも私達は二人とも子どもを持った時に、今の学校には子ども達を行かせることができない、本当に教育というのは何なのかを、一番最初から根本的に考え直さなければいけないと思ったのです。
その1965年に、私達が教育について、どういうふうに根本的に考え直したかという事について、お話ししたいと思います。まずはっきりしていることは、学校というのは、子どもと社会が出会う、その出会いの場であるということです。そして子ども自身のニーズにも、社会のニーズにも、答えられる場でないといけないのではないかということです。はじめに子どもについて話をして、その後で社会についてお話ししたいと思います。
子どもは良き大人になりたがっている
では、子どもとは一体何でしょう。まず子どもが、自分自身の中で本当にこうなっていきたいと思っている、その根っこにある動きとは、自分が本当にいい大人になって、そして自分の人生を全うしていきたいと願っているというものです。そこから子どもというのは始まっているのです。これは真実であるはずです。学校というものができる前から、教育なんていう言葉が生まれる前から、人類は、人類の子ども達は、ずっと大人になって、そしてちゃんとやってきているわけです。明白なはずです。
子どもの力
ではまず、子ども達が、どんな基本的なスキル(技能)を持って生まれてきているか、そのスキルによってどういうふうに大人になっていくのかについて見てみましょう。これからお話しすることをお聞きになりながら皆さんに思い浮かべてほしいのは、小さな子ども達、まだ本当に幼い、学校にも行っていない、ちっちゃい子どもの姿です。これからお話しするそれぞれの特性は、そういう学校にまだ行っていない、それゆえ学校によってまだそういった部分を破壊されていない、小さな子ども達にはっきりと見てとれるからです。
第一に子どもは、その周りを取り巻いている世界をどういうふうに見るかというモデル、「世界像というものを持つ能力」を備えて生まれてきます。新生児が、全く世界のことを知らずに生まれてくる事を考えてみていただきたい。新生児が、その後育っていくところを見ていると、どう考えても、この世界をただの混沌として捉えるのではなく、何か意味のある一つの世界として、受け取っていく能力を持って生まれてきている、と考えた方が自然です。この世界を意味のある一つのまとまりとして捉えていく事は、とてもとても難しい仕事のはずです。けれども、外からのいろんな手助けなしに、それをできるという事は、子ども達にはもともと一人一人、生まれながらにして、この世界を、世界として捉えていく能力を、もって生まれていると考えるべきだと思います。
次に、子ども達が持って生まれる能力とは、「問題を解決する能力」です。小さな子どもがはいはいし始める、あるいは歩き始める姿を、思い浮かべていただけるでしょうか。子どもにとって全てのことは、解決すべき問題のはずです。例えば、一歩上るということ、あるいは下るということ、一つのいすが置いてある所を避けて通るということ、全てその問題を解決しなければならない、一つの課題として目の前に現れてくるはずです。子どもとはそういう問題解決に非常に優れていて、一日中、毎日、そういう問題解決をして過ごしています。
もう一つ子ども達が、生まれながらに持っている能力とは、「好奇心」です。子どもは世界にある、ありとあらゆるものに対して好奇心を持っています。こういう特性が一番見られるのは歩き始めたばかりの子ども達です。動けるようになったとたんの子ども達を想像してみて下さい。そんな子どもというのはもうどこにでも行きたがる、そして触れる物は何でもつかみたがる、テーブルの上にある物、床にある物、壁についてる物、何でも取って、つかんで、見てみたがるんですね。こういった時代の子どものことを従来の教育学の人達は、「恐ろしき二歳児」なんて呼んでいました。でも、恐ろしきなんて言うより、本当は「すばらしき二歳児」なのですね。そういうすごい力を持っている、何でも好奇心をもって、何でも見てやろう、触ってやろう、学んでいこう、という力で満ちあふれている二歳児なのです。
そして全ての子ども達は、「イマジネーション(想像力)」そして「創造力」を持っています。子どもに一つブロックを与えるか、あるいは浜辺に連れていくか、それともおもちゃを一つ与えれば、すぐ分かりますが、もう百通りのいろんな遊び方をその物との関わりの中で見つけていきます。
子ども達は生まれつき、「エネルギーの塊」で、喜びの塊、もう幸福の塊です。そういうものを持って生まれてきています。私には三歳の孫がいるのですが、彼のやっている事がちょっとよく分かりません。あんまり食べないのです。でも一日中、外に出かけて行く、何しろ出歩いています。彼はそういうエネルギーの塊なのです。私達には理解できないぐらいです。
子ども達は、「忍耐力」の塊でもあります。一つの事を何度でも何度でも繰り返す、それが出きるまでしつこくやり続ける、挑戦し続ける、そういう力を持って生まれています。そして、これと関連するのは「集中力」です。一つの事に集中して、その事に本当にかかりきる力を持って生まれています。これはどの子にも当てはまる、どの子も持って生まれてきている力です。私は一度、一人のちっちゃい子どもが、一千回、ドアを開けたり閉めたり、開けたり閉めたり、開けたり閉めたりして、ついに、その開けたり閉めたりが出きるようになるまでやり続けたのを見たことがあります。
全て一人一人の子どもは、「自己批判能力」自分の能力を外から眺めて評価する力を持っています。子ども達はいつも、大人がする事を見ていて、自分がやるやり方も見ていて、その大人のやるやり方を取り入れる、そして比べて、自分の力にしていくということを始終やっています。
子ども達は「判断力」をしっかり備えています。もちろん大人の判断力とは違うかもれませんが、もともと物事の良し悪しを判断する力を持っていて、年を重ねるにつれてもっともっと賢くなっていきます。生来、そのような力を持っています。
子ども達は誰も、自分のその時している事に対する「情熱」を持っています。情熱的に幸せな時は幸せだし、もう怒るときは情熱的に怒るし、もういらいらするときは情熱的に地団駄踏んで、いらいらするわけです。そういうすごい情熱を持って生きています。
子どもの学び方
次に、子ども達が持っているツール、道具についてです。どんな道具を持っていて、それを使ってどう大人になっていくのかについて見ていきましょう。まず、この内の二つは私達もよく知って分かっている「観察力」と「体験」というツールです。何かを観察する力ですね。子ども達は、その日々の生活から、生活の中での「体験」から、いろんな事を学んでいます。これについては私達みんなが理解していることだと思います。
それからあと二つあります。これらについては、私達はあまりはっきりと認識していない、気づいていない部分があるのではないかと思います。
一つは「遊び」です。遊びというのは、全ての子ども達、そして大人達が、世界について学んでいく時の鍵になる道具です。まず、その遊びというのが何なのかについて、お話ししたいと思います。遊びは、何か意識された目的なしに行われる、全ての活動です。もちろん遊びの中には、ルールもありますし、そして非常に厳格な構造を持った場合も多々ありますが、その行き着く先が何であるかは全く決められていない、どこへ行くかは分からない、どんな目的なのかはあらかじめ何も設定していない、先がオープンな活動です。英語では、すばらしく発想の豊かな、創造的な人というのは、「考えと遊ぶ」という言い方をします。“play with ideas”と言うのです。
最後の一つ、たぶん一番大切な道具は「コミュニケーション」、おしゃべりをするということです。子ども達が、世界について最もよく学ぶのは、他の人との会話によってです。どうして子ども達は、あんなに一生懸命、喋ることを学ぼうとするのでしょうか。これは答えるには難しい質問です。例えば、従来は子どもとはもともと社会的なもので、他の人と協力しながら難しい仕事を成し遂げていった方が、より良いからだみたいな言い方をされてきました。でもそれは、まともな理由だとは思えません。二歳児なんていうのは、あと千人の人と協力しあって、橋を一つ架けようなんて事は考えていないはずです。しかし二歳児というのは本当に一生懸命喋ろうと、一生懸命その言葉を学ぼうとしていますし、たぶん一生の中であんなに一生懸命に何か一つのことに取り組んで頑張ることはないのではないかというぐらい言葉を学びます。なぜあんなに子ども達が喋ることに一生懸命なのか、その理由は、子ども達は話すという事を通して、初めて世界を認識していく、見ていく、そして他の人達がどんなふうに考えているのか、感じているのか、そういった事を認識していくからなのです。話すという事が、その子の中に窓を開けて、世界像を造っていく、モデルを作っていく事とか、それから他の人達との関係を作っていく事とか、そういったことの、一つの窓になるのだと思います。子ども達は話すことを通じて、他の人達の考えていることを自分の中に取り入れ、世界というものを自分の中に取り入れていきます。これは子どもだけではなく大人もまた、話すことを通して、自分だけの世界から全ての人間の心に、自分の心を広げていっているのだと思います。
社会のニーズとは?
では、次に「社会」について話を進めていきたいと思います。
アメリカも日本もそして世界中のほとんどの国が、現在民主主義の世界です。民主主義は三つの事が必要です。
第一に民主主義に必要なのは市民です。市民、それもどんな違いがお互いにあっても、「お互いを尊敬し合える」市民です。この一人一人を尊重するということ、一人一人の権利、一人一人の考え方、意見、そういったものを尊重し合うことが民主主義の核心だと思います。
そしてもう一つ民主主義にとって必要なものとは、やはり市民、人々です。一つのグループがある決定を下して何かを決めていく時に、「その決定に参加していける」、何かを決める事に参加していける、そういった市民が民主主義には必要です。民主主義のそもそもの鍵となる考え方とは、全ての人が何か決めていくことに自分が参加していく、自分が主である、というものです。
三つ目に民主主義に必要なものは、やはり市民、人々なのです。その人々が、自分自身が自由になっていくやり方を知っている、自分自身を自由にしていくことができる人々、それが民主主義には必要です。“just be free”、「自由にやんなさいよ」という言い方でも言えるように、そんなこと簡単じゃないか、と思うかもしれません。「ただ自由にしてりゃいいんでしょ」という事と思うかもしれません。でも、本当はこれはとても難しいことです。権威に依存しないで、本当に自由であること、そして自分の自由を自由に使っていくこと、それはものすごく難しいことです。この難しさの凄い実例が現在繰り広げられているのはロシアだと思います。ロシアは自由な国になりましたが、自由であるということを学んでこなかった人々がその中で今、大変困難な状態に陥っている、と言えると思います。
ポスト産業社会の世代
最後に、社会の経済的な側面について、経済的な現実について、見ておきましょう。今私達は、産業社会後のポスト産業社会、情報化社会といわれる社会の中で生きています。一体どういうことでしょうか。ポスト産業社会というのは、原則的に、こういうふうにまとめられると思います。全ての予測可能な行動は、全て機械によって置き換えられていく社会。ですからポスト産業社会、情報化社会の中で、成功していくために人々はクリエイティブにならざるを得ない、クリエイティブで革新的であらざるを得ない、今までとは違ったことを発想し、違ったことができる人間でないと、やっていけないということです。この社会の中では、人々は自分で自分のスタートボタンを押さなければなりません。指示を待って、誰かに言われたことをやるのではなくて、自分で何かをもくろんで、それを経済的な現実に反映していく、そういった生き方でないとうまく行かないことになってきます。自分については自己責任をとらなければなりませんし、自分でいろんな事を判断していかないといけなくなると思います。そして、他の人達と協力して、スムーズにいろんな事をみんなでやっていく力を持ち合わないといけなくなるのではないかと思います。だから、お互いにコミュニケーションをとっていく、お互いに話して分かり合う、そういう力が求められていきます。つまりこの新しい時代に、この社会が求めるニーズとは、正に、子どもたちがいつもやっている事に完全に一致していくことになります。
サドベリーバレースクールの根本
ですからここの所で、サドベリーバレースクールの基本的な考え方に行き着いていきます。学校は、大人の社会の完全な鏡でないといけないと思います。本当に民主的な構造が学校にも必要です。全てのいろんな物事の決定の過程に、子どもたち自身が参加していける場であること。そして、子どもたちが自由であるということを、本当に幼い時学べる場であること。そしてその人自身の、持って生まれたものとか、その人自身の興味とか、もともとのその人自身の中にあるこういうふうに生きていくというものに応じて、それに沿っていろんな事を学んだり、行動をしていける自由が保証されているということ。そして、いつもいろんな人達と、様々な年齢のいろんな人達と話して、一緒に遊んで、一緒に交流しながら生きていく、そういう場であること。そしてどんな小さな興味であっても、一つ興味を持ったならば、その事を突っ込んで、探検していける自由が保証されていること。そして外からのいろんなインフォメーションに対して、それを取り込んで、また探検の場を広げていくこと、そういう自由が保証されていること。こういったことが、サドベリーバレースクールの基本的な根本にある考え方です。
どうもありがとうございました。ではハンナにマイクを渡して、実生活についての話に移りたいと思います。